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​「私、服部正について」 

ヨガ入門43年。
独立して32年。
独立して最初は、瞑想とヨガスーラの研究実践に没頭する。

1993年  
梅田に散在していた教室を、同じく梅田の毎日放送向かいのマンション

朝日プラザ7階に、「ハタヨガスクール」 を開設、1ヶ所に統合する。

1994年  
梅田の一角にさらに広い 「服部ヨガアシュラム」 を開講する。
この年から4年間限定で 「ハタヨガ祈りと瞑想の会」 を始める。
会の趣旨は、「その日、慌てなくていいように。騒がなくていいように。
何もしなくていい。何もしようとしなくていい。
よく在ればいい。よく在ろうとすればいい。」 でした。

 

この頃、心の集中(ダラーナ)が掴め、いろんなものを対象に集中して遊ぶ。
そんな中、ふいに、「もう、いいだろう」という声が聞こえ、

驚くべき素直さで、本当にそうだと感じ、
本当の私を知るべく、心臓への集中に入る。
この時唱えたマントラは、「オーム サット チット アーナンダ」 であった。
光が満ちてくる中で、世界も私も消え、気が付いたら光の中で

「私は在る」 という響きだけがあった。
私は身体ではない。
神は私であることを知る。

ふとしたことがきっかけで、ラマナマハリシを知る。
初めて読んだのはポールブラントンの 「秘められたインド」。
この本の最後のポールブラントンが 体験したことの記述を読み、

私と同じ体験を記述している、

至難の業に挑戦していると感じる。

次に読んだのが「南インドの瞑想」。
この本の最初の写真を見て、以前に私が見たビジョンが

アルナーチャラであることを知る。
ラマナマハリシによって導かれることを予感する。

この体験を経てラマナマハリシ以外の本は一切読めなくなる。
(ラーマクリシュナ、聖書、仏陀は読めました。)
今度は道を歩いている時に
突風が身体を突き抜けるような強い衝撃を受け、
今のは何だと思っていると、
「お前はもう、半分を過ぎたのだぞ」 という言葉が残る。
この言葉の意味を探る中で、私のした体験がケヴァラニルビカルパサマーディ
であり、残りの半分がサハジャニルビカルパサマーディであることを知る。
ラマナマハリシが私を見守り、導いてくださっていることを確信し、
前後してラマナマハリシの教えを 徐々に伝え始める。
まだ25、6年なんでしょうか。
30年近くラマナの教えに 関わった来たような印象です。

2003年 

現在の場所に健康工房アジ庵を開設、庵主となる。
ヨガアシュラムが健康工房アジ庵となることによって、ずっとフランクになる。


2005年

有料の「庵主の話」の配信を始める。
少し遅れて、メールマガジンサイトまぐまぐから、
やはり有料の 「庵主のラマナマハリシ」 の配信を始める。

 

2009年 

アジ庵の隣に足圧、アロママッサージ、アーユルベーダなどによって
身体をケアする「サティヤ」を開設。

私を通してラマナの教えに触れたメンバーが、次々とラマナアシュラムを訪問する中、
私にその機会は訪れず、やっと2007年、初めてのラマナアシュラム、
アルナーチャラ訪問を果たす。
その最終日、シュンニャさんの取り計らいで
Vガネーシャさんのサットサンガに参加出来、
その時、あなたはアルナーチャラが 何であるかを知っているから
来る必要がなかったんだと言われる。


2017年12月と2018年5月2度3度
ラマナアシュラム、アルナーチャラを訪れ、
ラマナの使いとしか思えない犬のシュリと出会い、
私が一番最初に見たビジョンの、

ラマナとの約束の成就に向けて、強い導きと恩寵を感じている。

2018年5月 
13年続いた「庵主の話」と
「まぐまぐー庵主のラマナマハリシ」 を終える。

2019年12月

ディーパム祭参加をメインに、3年連続でラマナアシュラム、アルナーチャラに訪れる。

 

 
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